☆在仏50周年記念随筆「先人たちの巴里①パリの福澤諭吉」


  1972年の6月に、僕はパリへやって来た。沖縄が復帰し、ニクソンが訪中した年である。当初5年の予定が、半世紀になってしまった。この間、フランスは変わったし、日本も移ろった。どのようにか?
  僕よりさらに110年も前に、パリに滞在した人物がいる。福澤諭吉である。徳川幕府が派遣した「文久遣欧使節団」に、翻訳者として参加した。
  言うまでもなく福澤は、明治維新期に西洋文明を取り入れるべきことを主張した男だが、それは日本が独立を保つために必要と考えたからだ(「今の日本国人を文明に進るは、この国の独立を保たんがためのみ。故に、国の独立は目的なり、国民の文明はこの目的に達するの術なり」『文明論の概略』)。おかげでわが国は、アジア諸国中タイと並んで、欧米の植民地にならずに済んだ唯2つの例となった。
  ここで福澤が、西洋文明の摂取を方便と捉えていると同時に、欧米を絶対視しているのではないことも、極めて重要である(「西洋諸国を文明というといえども、正しく今の世界にありてこの名を下だすべきのみ」同書)。あの時点では、西洋に分があった、と言うのである。
  福澤はだから、パリで西洋文明が何たるかを、精力的に見聞した。たとえば病院を訪問し、どのように組織され、かつ経営されているのかを調べた。幕府崩壊後の日本を、どういう国にしたらよいのか。
  諭吉一行はまた、フランス政府の歓迎のプログラムとして、アレヴィ作曲の《ユダヤ女》をオペラ座で鑑賞したと言う。ユダヤ人が主人公である点が微妙なのか、今日では上演の機会が少なく、僕も一度見たきりである。初めて接する西欧の音楽劇を、福澤はどう感じただろう。
  遣欧使節団は、訪れる各国でオペラや言語不明の芝居を見せられ、閉口したそうだ。
  その120年後には、邦人作曲家が書いた日本語のオペラを、西洋人が歌うことになると、彼らに想像出来ただろうか?
  福澤らの訪欧に関して、僕たちの関心は当然ながら、同胞が経験した事柄に向かいがちだが、1613年の志倉常長のローマ行き以来、実に250年ぶりだった日本人の欧州訪問が、彼らにどのような影響を与えたかを知ることも大切だろう。
  この点で興味深いのは、諭吉がパリで親しく交わったレオン・ド・ロニーの存在である。ロニーはただ一人、日本語を話せる通訳だった。「日本のヴォルテール」福澤諭吉との出会いが、ロニーの日本への関心をいやましに高めたことは、想像に難くない。
  ロニーは福澤と知己になった9年後、日本の詩歌の選集を出版している。日本語の発音と仏訳を掲げたものだが、その翌年、日本を題材にした恐らく嚆矢のオペラ、サン=サーンス作曲の《黄色の姫君》に、この選集から万葉の歌が引用されている。
  かくして、今から160年前に日仏の交流が始まり、その最後の50年を、僕はパリで過ごしたことになる。
  そこで改めて、諭吉の言葉を問い直してみる。今の世界で西洋諸国を文明と言えるのか?
  答は明らかにノーである。
  西洋は18世紀の産業革命以来、物質的繁栄を至上の目的として追求して来た。人間の労少なくして最大の効率を得られる技術を革新すると共に、資源や市場を求めて他の国を植民地にした。
  その結果、なにが起こったか?今や人間は、自らが作った道具に、支配されるようになったのである。パリも東京も、スマートフォンの奴隷に満ち々ちている。
  あるいはロシアのウクライナ侵攻を人は非難するが、かつては同じことを多くの国が行なって来たのではなかったか?
  第二次世界大戦で、たくさんの人々を簡便に殺戮出来る原子爆弾という技術革新が広島に投下された時、西洋文明は終わったのである。
  その後の西洋は、黄昏の残照で輝いて見えるだけなのだ。
  フランスもこの10年来、全き頽廃の時期に入った。
  僕は毎年一時帰国し、母国の変化を肌で感じて来た。
  残念ながら、日本もまた頽廃が始まっている。
  なぜか?西洋の物真似をしているからである。没落しつつある西欧の後を追って、何の益があるのか?
  この国の真の独立を保つためには、今や西洋と距離を取り、日本独自の文明を築いて行かねばならない。
  半世紀に渡る在仏を経て、こういう思いを深くするのである。

【参考】『文明論の概略』(岩波文庫)、『パリの福澤諭吉』(山口昌子 
      著・中央公論新社)、『ジャポニスム』(宮崎克己著・講談社現代新書)。
 〔2022年10月26日〕


☆「林田直樹のカフェ・フィガロ」がアーカイブ放送
 日本のインターネットラジオ「ブルーレディオドットコム」は、コロナウィルスの影響で、「林田直樹のカフェ・フィガロ」のゲスト収録を自粛しており、過去の番組の再放送を行なっています。僕がゲストとして出演した2009年2月24日と3月3日の2回分のアーカイブが、このほど配信されました。

     https://bit.ly/3qKRDt7

 音楽ジャーナリスト林田直樹氏の「カフェ・フィガロ」でお茶を飲みながらのお喋りに、耳を傾けて頂ければ幸いです。〔2021年5月〕



☆この《祈り》を世界へ ~ パリ日本文化会館が発信
 2011年3月11日午後2時46分に起きた東日本大震災の1ヶ月後に、拙作《祈り》~バグ・パイプのための、がエルワン・ケラヴェック氏により、グルノーブル市の音楽祭で世界初演されました。
 本作は大震災の半年前に作曲されたものですが、ケラヴェック氏は初演を被災者の方々へ捧げたのです。
 2021年3月11日、パリ日本文化会館(国際交流基金)はケラヴェック氏率いるブルターニュ地方の伝統楽器四重奏団のコンサートを企画、その冒頭でケラヴェック氏が再び《祈り》を演奏する予定でしたが、フランスは現在コロナ禍ですべての文化施設が閉鎖、コンサートは中止を余儀なくされました。
 しかしながらパリ日本文化会館とケラヴェック氏は、東日本大震災10周年に際し、《祈り》を被災地に届けたいという思いから、ライヴ演奏を撮影、3月11日午後2時45分(日本時間)よりYouTube とFacebook を通して、配信することになりました。
 ここには、現在コロナウィルスの新たな罹患者が、1日2万人を数えるフランスの困難な状況で生きる人々から、未だに余震が続く東日本の被災者の方々への、人間愛のメッセージが込められている気がいたします。

YouTube:https://youtu.be/mkV3cnu_q4Q
Facebook:https://fb.watch/49KPZ-58NO/  

 この《祈り》がさらに、コロナ禍で苦しむ世界の人々に届きますように。
〔2021年3月11日〕 



☆パリをどう聴くか、どう見るか~僕の流儀
 コンセルヴァトワール(パリ音楽院)に通っている日本人学生に「どんなコンサートへ行くのですか」と訊ねられて、僕は普通の音楽会(オーケストラやリサイタル)には、ほとんど行かないことに気が付きました。因みにこの一ヶ月、足を運んだものを列挙すると・・・

 ・勅使河原三郎《幻想交響曲》を踊る(於フィルハーモニー)
  かつてフランスのバニョレ国際舞踊振付コンクールに入賞して注目された舞踊
  家が、ベルリオーズの交響曲を佐東利穂子とデュオで踊るという企画。《幻
  想交響曲》は、作曲家が自らの恋愛をシンフォニー仕立てにした作品ですが
  勅使河原はそれに捉われず、オーケストラが発する音をじかに身振りに翻訳
  することによって、言わば音楽の身体性を描き出してまことに見事でした。

 ・チャップリンの無声映画《 A Woman of Paris 》を音楽付きで(同上)
  珍しくチャップリン自身が出演していませんが、「サイレント映画でどこまで
  人間心理を描けるか」に監督チャーリーが挑戦した作品です。チャップリンが 
  晩年、自作の無声映画のために作曲した音楽がオーケストラで生演奏され、こ
  れが聴き物でした。無声映画に今日新たに付けられた音楽は、概して成功して
  いるものはありませんが、ここでは自ら監督した映画の登場人物への思いが、
  美しい抒情音楽として結晶しているのです。放浪紳士・生誕130年記念。

 ・イスラム教スーフィ教徒の音楽(於アラブ世界協会)
  回教の厳格派が「音楽は精神を毒するものであり、信仰の敵である」として
  音楽を禁じている中で、神秘主義派のスーフィ教徒が舞踊と音楽を実践して
  いる事実を、僕は重要視して来ました。男性がスカート状の裾を大きく拡げ
  ながら円を描いて行く旋回舞踊は瞑想的で穏やかなものですが、大型の平太
  鼓を手に持って叩きながら、独唱または斉唱するスーフィの今回の儀式音楽は
  かなり激しい部分もあり、音楽を通して神に近づく方法には、「静」と「動」
  の2つがあることが確認出来ました。

 ・ファドのクリスティーナ・ブランコ(於ブッフ・デュ・ノール劇場)
  アマリア・ロドリゲス亡き後、ポルトガルの都会的歌謡ファド(「宿命」
  の意)をリードするクリスティーナを初めて聴きました。「ノヴォ・ファド
  」と呼ばれる新しいスタイルですが、ポルトガル・ギター、ベース、ピアノ
  の伴奏にも工夫があり、時に強く、時に柔らかく発せられる彼女の声は、常
  に官能的です。白いTシャツに青いスラックスという軽装で、次に歌う曲の
  短い紹介のほかは、ひたすら歌い続ける、根っからの歌い手。伝統的なファ
  ドも何曲か歌いましたが、これがまた絶品。僕は歌というものを聴きながら
  久し振りに涙を流しました。

 ・・・こんな風に、自分の専門の現代音楽のコンサートにさえ、あまり行きません。知っているものを楽しむよりも、知らないものを発見することに喜びを感じる、これが僕の流儀です。〔2019年11月〕



☆《時の響き》
 1976年、つまり43年前に作曲した《色は匂へど》~メゾ・ソプラノとピアノのための、がなぜか最近再演が続いています。昨年は東京で蔵野蘭子さん、村松稔之君(カウンターテナー)が、去る2月にはパリで伊藤真矢子さんが歌ったら、今度はそれを聴いたフランス人歌手が取り上げたいとのこと。かつてコンセルヴァトワールの作曲科の入学試験に提出する為に書いた、いわば僕の原点のような作品がこうして演奏され続けるのは、嬉しいことです。
 また、1997年(こちらは22年前)に能を題材に作曲した《卒都婆小町》~ツィンバロムとダンサーのためのパフォーマンス、は現在アルゼンチン人の女性ダンサーが、新しい振付を考案中です。
 僕が人生のそれぞれの時に、作品の中に紡いだ過去の時間が、今度は「今」となって再生し、演奏家の人生の時間と出逢い、そして聴き手の心に届けられる。何という音楽の不思議でしょう!〔2019年4月〕



☆満員御礼!「蔵野蘭子ソプラノ・リサイタル」 
 去る2月17・18日の週末に、東京・自由が丘の月瀬ホールで行なわれた蔵野蘭子さんの連続リサイタルには、大ぜいの方々にご来場頂き、誠に有 難うございました。
 拙作では《色は匂へど》(公開日本初演)、《花鳥諷詠》(関西舞台研究所委嘱)、《木霊Ⅱ》(ピアノ独奏:土屋友成)の3作が演奏されました。 初日の模様がYouTube でご覧頂けますので、蔵野さんのトークともどもお楽しみ下さい。
          https://youtu.be/2O589_DYubc
 なお、当日は現代日本を代表する女性歌人のひとり、松平盟子さんがご来聴になり、「松平盟子の短歌日記 (http://furansudo.com/)」で次の歌を詠んで下さいました。

  先日の「蔵野蘭子ソプラノ・リサイタル」で、現代作曲家・吉田進氏の作品を
 久々に聴いた。パリ在住の吉田氏とは二十年来の知り合い。「木霊Ⅱ」に寄せて。


    声と音やわらかくふかく交差せり 葉擦れの光、霧のささやき
                                                   〔2018年5月2日付〕



☆委嘱作《進め!美わしき魂よ》完成
 高校時代の同級生で、日本管理工学研究所社長である友人から、社歌を作曲してくれ、と依頼されました。社歌・校歌の類は、半世紀以上 前、母校在学中に文化祭(「収穫祭」)の歌を作って以来です。因みにこの《収穫祭の歌》は今でも生徒手帳に掲載されており、生徒たちに歌い継がれ ています。
     http://www.shiki.keio.ac.jp/profile/shiki_mamehyakka/008.html

 その後僕は現代音楽の作曲家となり、交響曲やオペラを書くようになったのですが、「大きなコンサート・ホールで喝采を浴びるのは名誉なことには 違いないが、人々が口ずさむシンプルな曲が残せたら、それも同じくらい素晴らしいことではなかろうか?」と、時折ふと思うのでした。すると今回の 委嘱は絶好の機会と言うことになりますが、話はそう簡単ではありません。「音楽の新しい地平を追及して来たお前に、もはやそういう音楽は書けない のではないか」と自問せざるを得なかったのです。
 そこで僕はしっかりと兜の緒を締めて、本作に取り組みました。結果は「落ち込んだ時、困った時に口ずさむと勇気がおのずと湧いて来るような 曲」、という委嘱者の希望に添う曲が出来たようです。歌詞の提示はなかったので、タイトルを《進め!美わしき魂よ》と決めました。これはゲーテの 長編小説『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』から取ったものです。この物語の第6章は、全体から切り離されて独立した章「美わしき魂の告白」 となっており、そこでは一人の女性が悩みながらも自分の生き方を見出す過程が描かれ、最後に「わたしは絶えず前進しています。けっしてあともどり することはありません」(岩波文庫、山崎章甫・訳)と記されています。僕もこういう風に生きられたら、と思ってこの曲名を付けました。  
 マーチ風の曲調で、ピアノ用の楽譜に仕上げてありますが、コード・ネームも付いています。ピアノで弾くも良し、ギターを奏でるも良し、口笛で吹 くも良し。是非多くの皆さんに楽しんで頂きたいと思いますので、ご希望の方には楽譜をPDFでお送りさせて頂きます。トップページから、遠慮なく お申込み下さい。[2017年10月8日付]



☆お聴き下さい《トリスタン葬送音楽》
パリの現代芸術の殿堂、ポンピドゥー・センターが今年で創立40周年を迎え、これを祝って去る2月4日に無 料で開放したところ、入場者数5万人という新記録を樹立しました。この時エルワン・ケラヴェックをリーダーとする、フランスはブルター ニュ地方の伝統楽器の四重奏団が、僕の大好きなイヴ・クランの抽象画の前で、拙作《トリスタン葬送音楽》(「沖へ」委嘱作)を演奏し、僕 は感無量でした。リハーサルの際は文化大臣オードレー・アズレーが臨席され、「この作品を聴く前と聴いた後では、周囲の絵画が異なって見 える」と仰ったそうです。時を同じくして、この作品は他の作曲家の現代作品と共に、1枚のCDとしてリリースされました(SONNEURS/Erwan Keravec : Buda Musique 860 299/SC870)。そしてこのレコード会社のサイト で、拙作がお聴き頂けるのです(そんなことしたら、CDが売れなくなるんじゃなかろうか~笑)。

      http://www.budamusique.com/product.php?id_product=711

 このサイトのページの下に、トンネルの写真をあしらったCDのジャケットがありますが、その下段に 「Label Buda Musique - Ode funèbre」と書いてあるところをクリックしてお聴き下さい。

 《トリスタン葬送音楽》は、もとよりケルト伝説のトリスタンとイゾルデの恋物語を素材としていますが、有 名なヴァーグナーの歌劇とは、直接の関係はありません。伝説では、二人は媚薬によって不倫の恋に落ち、戦で瀕死の傷を負った騎士トリスタ ンは、死ぬ前に一目王妃イゾルデに逢いたいと望みますが、妻の嫉妬に妨げられ、イゾルデに見捨てられたと思い込んで、息を引き取ります。 その直後に、一足遅くイゾルデは到着するのです。拙作は、スコットランド式バグ・パイプ、ブルターニュ式バグ・パイプ、ブルターニュ式 オーボエ、ブルターニュ式イングリッシュ・ホルンの四つの伝統楽器のために書かれており、『イゾルデ、恋人よ』と三度繰返して死んだトリ スタンを悼んだ葬送音楽です。曲の中間部は、恋人たちのように、二本の蔓がお互いに絡み合う様子を表わしています。「私なくしてあなたは なく、あなたなくして私もない。」
[2017年5月14日付]


....................................

........................................................................................ポンピドゥー・センターのイヴ・クランの抽象画の前で、
................《トリスタン葬送音楽》を演奏する、エルワン・ケラヴェックのブルターニュ伝統楽器四重奏団。




☆今も流れる《隅田川》
能オペラ《隅田川》(フランス政府委嘱)が2007年11月に初演されて9年、ある日見知らぬ老婦人から 電話が掛かって来ました。「自分は今年で80歳になるが、9年前にアンジェ市の歌劇場で《SUMIDAGAWA》を観て感動し、2010年にディナ ン市で再演された時には、高齢にも拘らず、4回電車を乗り換え、ホテルを予約して観に行った。まだ何度も観たい。現在公演はないのか。CDやDVDは出ていないのか」というお尋ねでし た。ただただ有難く、僕は言葉を失うばかりでした。一方、気鋭の音楽学者パスカル・テリアン氏の新刊『楽興の変容』では、リゲティ、ヴァ イル、プーランク、ジョリヴェなどの大作曲家についての論考に先立って、最初の章を「《隅田川》、能からオペラへ」と名付け、拙作によっ て能でもオペラでもない、新しい音楽劇のジャンルが誕生した、としており、僕は自分のことのような気がしないのです。[2016年秋]



☆委嘱新作《涅槃楽》初演
 クラヴサン(仏)という楽器をご存知でしょう か?イタリア語ではチェンバロ、英語ではハープシコードと呼ぶ鍵盤楽器です。こ の楽器のための拙作《涅槃楽(ねはんらく)》が、フランス・クラヴサン協会とエクス=アン=プロヴァンス音楽院の共同委嘱として、去る3 月21日に音楽院のコンサートホールで初演されました(演奏:ロール・モラビト)。毎年巡回で行なわれているクラヴサン協会の音楽祭 が、 今年は南仏のエクスの音楽院で開催されることになりましたが、この音楽院は、偶々僕が5年前にレジデント・コンポーザーを務めた所でし た。その後院長も変わり、何より建物が新築されたのですが、これが隈研吾の手になるもので、折り紙(ORIGAMIはすでにフランス語)をイメージ した 斬新なデザインは評判になりました。

        

そこでクラヴサン協会は、 今年 の音楽祭のテーマの一つを「日本」と決め、僕に新曲を委嘱して来たのです。武満徹を始めとする日本人の既存作品のほかに、珍しいところで は、フランスの女流作曲家による三味線とクラヴサンのための二重奏曲も紹介されました。クラヴサンは、18世紀にピアノが出現する以 前の 楽器で、バッハの音楽の演奏には欠かせません。同じ鍵盤楽器でもピアノとは全く発音方法が異なり、音量が限られています。そのため音の幅 の大きいピアノ(本来の名称は「ピアノ・フォルテ」~弱・強音~)に取って代わられてしまいますが、19世紀の末になると、力強さの みを 良しとする機械文明と、巨大さを誇る後期ロマン派音楽(例:ヴァーグナーの歌劇《ニーベルングの指輪》は上演に4夜掛かる)への反発か ら、バロック音楽が復活する動きの中で再発見されたのです。こういう事情から、西洋の現代作曲家がクラヴサンの曲を新たに書く時に は、多 かれ少なかれバロック音楽が意識されることが多いのです。日本人としての僕にはこのような歴史観はありませんから、僕はこの楽器の響きに 無心に耳を傾けることから、創作を始めました。すると、これが何とも典雅で高貴な世界なのです。心の平安(涅槃)を表現するのに、 ピッタ リだと思いました。近年、僕は人生の中で最も大切なのは、心の平安だと確信するようになりましたから、丁度良い機会です。そこで「涅槃の 音楽」という意味で、曲名を《涅槃楽(ねはんらく)》と付けました。この作品の中には、大念佛寺の万部法要(二十五菩薩来迎会)、神 楽歌 における和琴の響き、平等院の雲中菩薩供養など、一時帰国中に受けた深い感銘の想い出も込められています。お蔭様で初演は好評で、何人か のクラヴサン奏者たちから楽譜を求められましたから、これから少しずつ演奏されて行くことでしょう。[2015年5月]



☆メシアン⇔鳥⇔日本
中世、それも聖フランチェスコが専門という歴史学者から連絡があり、近く出版予定の本に、メシアンと鳥の関係について寄稿して欲しい、と依頼されました。師メシアンが鳥を愛したことはよく知られており、大作オペラ《アッシジの聖フランチェスコ》では、鳥に説教したと言われるこの聖者を主役に据えているからです。話を聞き書きしてくれるならという条件で、僕は引き受けました。以下はその要約です。「メシアンと鳥を考える前に、まず先生が自然全般を愛していたことを知る必要があります。熱心なカトリック信者であるメシアンにとって、自然は神の被造物であるからです。自然が織りなす音の中で、先生が特に鳥の声に注目されたのは、そこには旋律とリズムがあるからです。オペラに限らず、メシアンが鳥の声を作品の素材に大幅に取り入れたのは、非人間化してしまった現代音楽に抗して、大自然の声を取り戻すべきだと考えられたからです。一方日本には、神道の価値観で自然崇拝の伝統がありますし、また蝉の声などは、仏教的な無常観を我々に感じさせるものです。さて、ここに先生の驚くべき発言があります。それはフランスのテレビのインタヴューに答えられたもので、こう仰るのです。『世界で私の音楽を最も良く理解してくれるのは、日本人である。彼らは生れつき、聖なるものの感覚を持っているからだ。日本人は崇拝のためなら、何時間でも身動きせずにいられる』と。ここに、メシアン先生と日本を架ける橋があるのはないでしょうか。《アッシジのフランチェスコ》の台本に、『天使はここで、能役者のように、極めてゆっくりと歩く』とメシアンが指定していることを想い出して下さい。そう言えば先生は、蝉の声を素材にした拙作《空蝉》を、『能の最も美しい場面に比肩しうる』と評して下さいました。」そこでこの中世学者が僕に教えてくれたのは、実は聖フランチェスコは鳥に説教したばかりではなく、蝉も友としていたことでした。イチジクの木に止まっていた蝉を呼ぶと、聖者の指に飛んで来たというのです。「歌いなさい、シスター蝉よ。」蝉はその歌声で、聖フランチェスコを慰めたということです。〔2014年10月18日付〕



☆永遠の藤圭子
日本に居ないために知らなかった、ということが時々起こりますが、昨年夏に藤圭子が他界していた事実は、その後出版された『流星ひとつ』(沢木耕太郎著・新潮社)の書評で知り、大変ショックでした。かつて僕は『サンデー毎日』の連載演歌論で、藤圭子の歌は「圭子伝説」から想像されるようなドラマチックなものではなく、決して芯から絶叫することなしに、ナイーヴな、しかしそれだけに深い、しみじみとした表現を獲得している、と書きました(拙著『パリからの演歌書簡』・TBSブリタニカ所収)。前回の帰国時に『流星ひとつ』を購入して読んでみると、ここには著者との長時間インタヴューを通して、なぜこのような歌唱が生まれたのか、彼女自身によってその秘密が語られています。また、物事に筋を通すその潔癖な生き方には、誰しもが心を打たれるに違いありません。音楽と、それを生み出す芸術家の抜き差しならぬ関係を知ることの出来る、いやさらに言えば、人生とは何かを考えさせられる、何度でも読み返したい稀有な一冊です。〔2014年10月18日付〕



☆「言葉と音楽の相互関係」研究会で証言
フランス西部のアンジェ大学でこのほど行なわれた「言葉と音楽の相互関係」研究会に招待され、作曲家としてどのように言葉を音楽にしているか、拙作の歌曲とオペラを例に引きながら話して来ました。この研究会は、音楽学者、言語学者のみならず、シャンソン研究家や言語治療士も参加し、音響現象として共通の要素を持つ言葉と音楽が、どのような相互関係にあるかを考えて行こうとするものです。研究者サイドで、音楽に対して高度に科学的・理知的な取り組みが成されていることに僕は驚かされましたが、一方創作の現場で具体的にどのような作業が行なわれているかという僕の話も、彼らを大きく啓発するものであったようです。それにしても、このような席に唯一の作曲家として日本人を招くところが、フランス人の懐の深さでしょう。僕は「日本語とはどういう言語か」を西洋人に紹介出来る良い機会と考え、日本語には外国語のように強弱アクセントは存在しない代わりに、高低アクセントがあること(例:「箸」と「橋」の違い)や、表意文字(漢字)が作曲のインスピレーションになり得る(例:「嫉妬」という言葉に、疾いテンポと堅い音色をイメージする)など、日本語の特徴を述べると共に、多くの歌曲や歌劇が失敗作に終わるのは、歌詞そのものに頼り過ぎるからで、人間がなぜその言葉を発せざるを得ないのか、言わば「言葉以前」に作曲家が迫らなければ、良い作品は生まれない、という日頃の僕の信条を開陳しました。[2014年春]



☆ヴァイオリン協奏曲《四季》世界初演報告
2011年夏に試演された、ヴァイオリン協奏曲《四季》(フランス政府委嘱作)が、アミ・フラメールの独奏、マチュー・カスペール指揮ナンシー交響楽団の演奏で11月6日に正式に世界初演されました。ナンシー市は19世紀末から20世紀初めにかけて、エミール・ガレが植物や昆虫をモチーフにした「アール・ヌーヴォー」を創り出した街として知られており、季節を題材にした拙作が初演されるのに、ふさわしいと僕は思うのでした。有名なヴィヴァルディの同名曲が、イタリアの詩型ソネットの内容に添って作曲されているのに倣い、僕は蕪村の俳句を素材にしました。春「春の海終日のたりのたり哉」・夏「さみだれや大河を前に家二軒」・秋「山は暮て野は黄昏の薄哉」・冬「しぐるゝや鼠のわたる琴の上」。春と秋は、悠久な自然の運行を感じさせる、蕪村特有のスケールの大きな句境を、夏の句は蕪村と一人娘の苦悩を、そして冬の句は「時雨」と呼ばれる琴を弾く小督の局の艶やかな恋を描いてみました。11月7日にも演奏されることになっています。〔2013年11月7日付〕



☆新作《恋する女》初演
さる5月13日、新作《恋する女~小野小町の和歌による~》~ソプラノと8人の奏者のための(フランス国営放送局委嘱作品)が初演されました。『古今集』に収められた小町の和歌を5首選び、配列を入れ替えて、恋の誕生から終焉までを描きました。第1首「おもひつつ 寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」、第2首「人に逢はむ 月のなきには 思ひおきて 胸はしり火に 心焼けけり」、第3首「秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば ことぞともなく 明けぬるものを」、第4首「秋風に あふ田の実こそ 悲しけれ わが身空しく なりぬと思へば」、 第5首「花の色は うつりにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」。三十一文字と簡単に言いますが、五七五七七それぞれの句の中に、固有のリズムと抑揚が、単語の集積によって生じるところに、和歌の音楽的魅力があり、僕は夢中になって取り組みました。また、《美しき水車小屋の娘》や《詩人の恋》のような、ストーリー性を持った連作歌曲集を、いつか書きたいと思っていたので、これでやっと夢が実現しました。演奏は大塚朝代さん(ソプラノ)と、フランス国立管弦楽団(ヴァイオリンの破魔澄子さんほか)、及び国営放送フィルハーモニック管弦楽団のメンバー(指揮カルロス・ドゥルテ)で、超一流の出来栄えに、僕は天にも昇る心地でした。それにしても、謎に満ちた小野小町という女性を、ほとんど唯一の手がかりである『古今集』に尋ねてみて分かったことは、小町が日本女性の典型だということでした。それ以来、僕は日本女性に会うと、誰もが小町に思えて来てしまうのです。〔2012年5月29日〕



☆《木霊Ⅱ》が日本舞踊化
1978年に作曲した《木霊Ⅱ》~ピアノのための、が何と日本舞踊になりました。これまで拙作がモダン・ダンス化された例は少なくありませんが、まさか日本舞踊になるとは想っても見ませんでした。これはパリ在住のピアニスト三澤望さんと、舞踊家の藤間裕凰さんが作ったグループ「OTOMAÏ-音舞(おとまい)」の創作です。歌舞伎を母胎とした日本舞踊は、大正時代から創作舞踊が試みられて来ましたが、今回のように既存のコンサート・ピースを素材として、そこから踊りを組み立てて行くことは、あまり例がないのではないでしょうか。作曲者として舞台に接して驚いたのは、僕が書いた音たちが、見事に日本舞踊の体の動きと調和していることで、自分の作品の中に「日本的身体」が隠されていることに、初めて気が付かされました。論より証拠、YouTubeで「OTOMAÏ-音舞」のパフォーマンスをお楽しみ下さい(下記のアドレスをクリック、または貼り付けて下さい)。[2012年春]

          http://www.youtube.com/watch?v=a8kKukvWTig



☆能オペラ《隅田川》をシンポジウムで紹介
9月1日から3日まで、ベルギーのルーヴァン大学で、「文献学と舞台芸術」と題するシンポジウムが開かれ、フランスの気鋭の音楽学者パスカル・テリアン氏(パリ国立音楽院教授)が、「《隅田川》~能からオペラへ」と題する研究発表を行ないました。このシンポジウムは、オペラを主とする舞台芸術作品が、実際にどのようにして作られたかを問うもので、ヨーロッパとアメリカから、多くの研究者が参加しました。18世紀オペラが中心のシンポジウムで、テリアン氏が拙作を「21世紀の主要なオペラのひとつ」と位置付け、15世紀に観世元雅によって書かれた謡曲が、どのようにして現代オペラになったか、台本と音楽の創造過程を具体的に提示してくれたのは、身に余る光栄です。〔2011年7月1日付〕●なお、この研究発表内容の英語版テクストをご希望の方は、お申し出下さい



☆《梅と鶯》初演報告
小林一茶の梅の句を3つ選んでオーケストラ曲にした《梅と鶯》(フランス政府委嘱)が、去る9月24・25日にレンヌ市、26・27日にブレスト市、28日にカンペール市、そして30日にはドル市(モン・サン・ミシェル僧院1300年記念コンサート)にて初演されました。指揮はかつて東京都交響楽団の首席指揮者を務め、また名古屋フィルハーモニー管弦楽団の終身名誉指揮者でもある、モーシェ・アッツモン。日本をよく知っているアッツモンは、「この作品は、まるで生花のようだ。飾り気のない花があり、それからここが大切なところなのだが、その花を凝視する視線がある」と評していました。ベートーヴェンの《第九》と組み合わされたプログラムでしたが、アッツモンが「私はこれまで《第九》と一緒に他の曲を指揮することは、常に拒否して来た。今回初めてOKしたのは、《梅と鶯》には《第九》と同じ精神性があるからだ」と語ってくれたのは、この上ない光栄でした。



☆能オペラ《隅田川》初演大成功
11月8日を皮切りに、フランス各地の歌劇場で、能オペラ《隅田川》(仏政府委嘱作)の初演が行なわれました。多くの観客が、二人の歌手と一緒に泣いてくれました。新聞に掲載された批評のひとつを、ご紹介します(「エコー」紙)。「吉田は、師メシアンが彼にアドヴァイスしたように、現代の能を書こうとしたのだろうか?能オペラ《隅田川》を東洋の演劇に結び付けるものは、日本語で歌われる歌詞のほかに、時間の扱い方、つまり時間の拡大と収縮である。器楽の部分はこの作品の注文主である打楽器奏者たち、『リゾーム四重奏団』に委ねられたが、彼らは魔術師のような指と手とで、衝撃音や咆哮、執拗な唸りや鐘の音、そして余韻を生み出すのであった。ここでは響きと色彩と抑揚とダイナミックスが、驚くべき簡素な手法で開発されている。声は殆どいつも伴奏なしで、比較的に限られた音域内で動くのだが、それが求められている緊張感を強める結果を生み出している。そして沈黙が極めて重要であり、音はその中に溶けて行く。いかなる異国趣味からも程遠く、能オペラ《隅田川》は、人生というものを理解するためのひとつの手立てである。」《隅田川》は、来年3月にカンペール国立文化会館、4月にパリ日本文化会館に於いて再演が決まっています。[2007年12月]



☆フランス政府の「委嘱審査委員会」の委員に
フランスには、政府が作曲家に作品を依頼する制度があり、僕もこれまで何度か仏政府から作曲料を頂戴する光栄に浴しました。どの作曲家に依頼するかについては、毎年「委嘱審査委員会」が決定します。今年は10月末に委員会が開かれ、僕も審査員を務めました。これで3回目の経験となります。作曲家とその作品の演奏を保証する演奏団体が、共同で提出した申請書類(今年は130件)を、13人の審査員が手分けして予め検討し、委員会で報告した後、全員で投票して是非を決めます。ポイントは、作曲家の経歴と能力、申請内容の独自性、初演と再演の見込み、の3点です。例年で約180件の申請の中から、60件程度が委嘱を受けます。今年度の委嘱料予算総額は約1億円で、各作品への委嘱料は、オペラ、管弦楽、室内楽などのジャンル別と、曲の長さによって割り振られます。今年は特にジャズの分野に、優れた才能が目立ちました。


     

写真1)
船上で狂女(カレン・ウィエルズバ)に子供の死を物語る隅田川の渡守(アルマンド・ノゲラ)[第一部]
後方に見えるのは、「梅若権現御縁起」(17世紀の絵巻)の複製。狂女の衣装は、絵巻中の姿を再現している。



     

写真2)
隅田川の渡守(アルマンド・ノゲラ)と語り合う狂女(カレン・ウィエルズバ)[第二部]
狂女の衣装は、第一部に比べて現代的になっている。背景は「梅若権現御縁起」(17世紀の絵巻)を拡大複製したもの。


Photo by
Caroline Ablain 


☆能オペラ《隅田川》練習始まる
8月29日より9月10日まで、カンペール市にて、能オペラ《隅田川》の初演に向けた練習が行なわれました。狂女役のカレン・ウィエルズバも、渡守役のアルマンド・ノゲラも、毎日泣きながら歌っており、舞台の端にクリネックスを置いての練習になりました。特にカレンは何度か号泣し、練習を中断せざるを得ない場面もありました。まこと母が子を思う気持には、深いものがあります。しかし子に対する愛の強さは同じでも、かかる悲劇の受け止め方は、文化によって異なります。カナダ人でユダヤ教徒のカレンと、アルゼンチン人でカトリック教徒のアルマンドが、仏教とシャーマニズムの色濃い《隅田川》をどう捉えるか、ここに今回の公演の意義のひとつがあると申せましょう。「私がこんなに役に打ち込んだことは、かって無かった」(カレン)、「このオペラは、苦しんでいる人間に対して、深い思いやりを示すことを私に教えてくれた」(アルマンド)。《隅田川》を作曲した昨年一年は、僕個人にとって人生で最も苦しい年でしたが、これほど歌手に真剣に取り組んでもらえたことを、天に感謝したいと思います。[2007年9月]



☆なかにし礼が拙著に言及
一時帰国の折の楽しみのひとつが、本屋へ行くこと。予めメモをしておいた本を購入し、新刊書を覗きます。今回,、音楽書コーナーでなかにし礼著『三拍子の魔力』(毎日新聞社)という本を見つけ、フリーメイソンに触れているようなので買って来たところが、僕の本に言及しているのを発見、ビックリしました。
最近出たものでは『フリーメイソンと大音楽家たち』(吉田進著、国書刊行会)が面白い。著者は一九四七年生まれ。フランスで活躍している作曲家で、パリ・オペラ座から委嘱されてオペラ『演歌Ⅲー袈裟と盛遠』を作曲している。自身はメイソンでないらしいが、大変なエネルギーをかけて調べあげ、ユニークで革新的な音楽論を展開している。私にとってはわが意を得たようなところが多々あり、特に「フリーメイソンのことを知ることによって、目から鱗が落ちるように、音楽が明瞭に聞こえるようになった」というくだりには膝を打ってうなずいた。(169頁)
この後、何ヶ所かで、拙著を引用しています。なかにし礼は言うまでもなく直木賞受賞作家ですが、僕にとっては、石川さゆりの歌った《風の盆恋歌》の、完璧と言ってよい名詩の作者。大変光栄に思います。



☆関連サイトへのリンク
「カルチエミュジコ」  http://quartiersmusicaux.blog77.fc2.com/blog-entry-15.html











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更新:2022.1101

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